ベイサイドクラブ


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小林俊彦

須永勝之

<前文>

RSベイサイドクラブのホームページへ、ようこそ!
ここは、うちのクラブだけでは無く、ロードスター、車好きの方ならだれでも、歓迎いたします。
ここでは、私の日記と言うことで自己紹介をしながら私の個人的な、ロードスターや自動車についての考え方について、お話をしたいなと思います。

<第1話 なんで、ロードスターなの?>

私が、ロードスターを購入したのは、いまから7年前の夏、友人が、ロードスターを買いたいと言う事でいっしょにディラ−に行き友人の試乗のあとに、『あなたも試乗したら、どうです。』の一言に、ここで辞めればいいものを『乗ります』の一言返事。
これを切っ掛けに、購入!この時、頭金5、000円。『なんだ、5、000円で車かえるじゃん』などと、アホな事を考えておりこのあとのローン地獄などは、まったく考えておりませんでした。
ちなみに、いっしょにいった友人は買うことなく、私は、チューニングの費用どころか、ガソリン代にも事欠く日々が5年間もつずきました。
ロードスターは、非力だといいますが、当時乗っていた車よりずーとパワーがあり、幌をあけFRの楽しさを満喫していました。
そして、納車より約1週間後にジムカーナにノーマルで、参戦そして、1ヶ月でコ−ナーまがりきれずに、200万コースの修理!
ディラ−のメカが、営業の方に『このオーナー死んだんでしょ』と聞く、くらいに派手な事故でした。 もちろん、傷ひとつ無くぴんぴんしておりました。
私をここまで、夢中にさせた理由は、当時、外車のメカニックをやっておりましたが、そんな車なんかよりずーと性能が良かったとおもいます。
確かに、高級感とかビックトルクでもっていくなどというのは、劣りますが、なにより、楽しい車と言う点では、私の乗った車のなかでは、1番だと思います。
これは、ロードスターのカタログにある、『だれでもしあわせになる』と言う事が、この車の原点にあったからこそできたものだと思います。
そして、私もカタログの通り車がきっかけで、沢山友人に出会い幸せになれた気がします。
ここまでが、私のなんで、ロードスターなの?と言う事のお話で、まだまだ第2話、3話とつづきます。

<第2話 ベイサイドクラブの紹介>

日記と言うと、異なるかもしれませんが、ベイサイドクラブの活動や、部員について紹介いたします。
部員は、現在約20名おり、活動内容としては、ツーリングジムカーナ参戦、スキー、ボーリング大会、バーべキュー等を行っております。
RCOJの活動にも積極的に参加しており、他のクラブとの交流も、深めております。
当クラブの部員には、ひょうきん者がたくさんおり、車が、燃えた者、サーキットで横転した者、2回も免許をとった者、個性派ぞろい。
女性の部員も数名おり、みんなで和気藹々とやっております。
飲み会ともなると車談義や、Y談で日があけることもしばしば・・・
ツーリングは、6台から15台くらいの参加があり、全部ロードスターで流している姿は参加してみて頂かないとわからない優越感が、あります。
もし、興味がもち覗いてみたいと思う方は、小林宛にメールをください。必ず返信いたします。

<第3話 悪魔のささやき>

第1話で少々ふれましたが、納車1ヶ月での自爆についてお話をいたしましょう。
あの日は、天気もよく雲1つない晴天でした。
ロードスターにもなれてきたころで、いつもは、電車で通勤する会社をロードスターで行くことにしました。
しかし、これが、悪魔のささやきだったのです。
新大橋通りより、左手に浜離宮をみながら、左折し海岸通り(国道15号)をにはいると数百メーターにつづくストレート前方に車両のいないのを確認し、全開でかけぬけ、6、000回転くらいで、3速にシフトアップ!
ものすごいスピードでコーナーがせまってくる。
蹴るようにブレーキをかけ、2速にたたきこむ!
ブレーキを残してコーナーに進入したまでは、よかった。
うん、まちがいは無い。
しかし、突然おそろしいくらいの横Gを受けカウンターをあてる間も無くガードレールめがけて、一直線!
メbinngo メ
同じ車が、買えるくらいの修理代(車両保険に入っててよかった)が、かかるはめになってしまったのです。
もちろんみなさんは、交通安全に日頃から勤めているからこんなアホなことは、しないでしょうが、あー生きててよかったと、勉強をしました。

<第4話 妻とロードスター>

内の家内について、ちょっと紹介をいたしましょう。
あれは、まだ付き合いだしてまもない頃、妻が妻の友人に「ロードスターってどんんな車」と聞くと「屋根の無い車だよ」といったもんで、「屋根がないんだー」と納得をしたそうです。
彼女は、本当に屋根の無い車を想像したらしく、雨の日は、デートしたくないなー(たしかに、屋根はなく幌ですが・・・)
また当時、私は、英国の高級車(猫のエンブレムのメーカー)のメカニックをやっておりましたが、名刺を見せるとミシンめーかーか、スポーツ用品のメーカーに勤めていたと考えていたそうです。
それくらいに、車オンチな彼女ですが、最近では、わたしの影響か、タコ足から、キャブのジェットまでパーツの面も、明るくなりました。
ありがたい事にロードスターにも理解を示してくれて、子供が生まれてもロードスターを、売るようにと言わない事には、感謝しております。
また、家族で、買い物などには、2シーターに3人乗りと言うしまつですが、(警察関係者の方は、読まなかった事にしといて下さい。)これからも、ロードスターと、家族を大切にしていきたいと、考えております。

<第5話 キャブレタータをいれたゾ>

私は、いわゆる旧車と言うのが好きで、トヨタ2000GTやハコスカ、ロータスエランなど、このころの名車は、必ずキャブレータで、キャブ独特の吸気音を持っていました。
友人にTE-27を乗っていた者がいることもあり、キャブへの憧れは、特に強いものがありありました。
いつかはキャブと考えておりそんな中で、RCOJで、キャブ交換実演会があり早速私は、申し込みをいたしました。
すると、私の車が実習車としてが使われました。
講師として、アドバイスをして頂いたのが、1028の製作者として有名な田中さんと中野さんでした。
「1028の製作者が、私の車に工具を入れてくれるなんて、すごいなー」などと、考えながらも作業は、進みいよいよエンジンに火をいれると『グア、グワ、グワーン』とキャブ特有の爆音とともに 私の車は、新たにめざめました。
田中さんと試乗の時に、「キャブレターは、トライ&エラーで全てやっていけば必ず車は、答えてくれます」とアドバイスを頂いました。
あの時のキャブ音は、今でも耳にのこっております。
帰り道に首都高を3週したことは、言うまでもありませんが、それからが、私とキャブの戦いが始まりました。
アイドリング安定させるため、点火プラグ、交換番数さがすのには、苦労しました。
ジェット交換、レギュレターの取り付け、信号を送るだけのエアフロの角度、燃料ポンプの見直しなどなど、さらには、パーコレション現象に悩まされボンネットの交換等いろいろ悩まされましたが、キャブの爆音を聞く度ガンバルゾと言う気になりました。
しかし本当に悩ませられるのは、これからと言うことに、この時の私には、知る由もありませんでした。

<第6話 ロードスター 炎上>

キャブレータを入れて、2年あまりが過ぎ、ベイサイドクラブとして、万座ツーリングと言う話が、持ち上がり私も参加することにいたした。
当日の朝エンジンを駆けると、やに不機嫌で今日は行きたく無い様子のロード君でしたが、無理にでも連れていく事にしました。
榛名山を下る途中にからアイドリングが安定しない事は、いつもの事としても、中低速のパンチのある加速が無いおかしいなーなどと、考えながらも旅路は、進み草津を通り、万座に入る前に◯◯スキー場で、一息つきさあー出発!
あれ、エンジンが掛からない。
おかしいな、と思い2発、3発 するとボンネットより白い煙りが・・・
よせばいいのにボンネットを開けたとたんに『ぼわっ』と、炎があがりたちまち、ブレーキマスター、クラッチマスターヒューズボックスと燃えつづけて、メンバーの方もしきりに火を消そうとして頂き、そんな中、T氏が、まっ先にレストランから消化器を取りにいき『どけ』の一言のあと『シュ−』と消化器で・・・
おかげ、大事には、至りませんでした。
この時T氏が、消化器を持ってこなければと考えるとT氏には、今でも、感謝しております。
ちなみにこれを切っ掛けにファイヤートシと呼ばれたのは、言うまでもありあません。

<第7話 激動の10thアニバサリ−ミ−ティング>

10月10日のアニバーサリー ミ−ティングに参加するため私は、8日に東京を出る事にし、その日は明石にて宿をとる事にしました。
明けて、9日山陽道のとあるSA(兵庫県あたり)にて、休憩をとるためはいると見なれた、ロードスターが2台止まっていた。
オーナーはやっぱり、T氏とM氏であり、茨城のクラブを待っているとの事で、茨城のクラブと合流し山陽道を広島めざし、西へ、西へ、・・・
しかし、彼らのペースは、かなり速く私のおんぼろロードスターには、きつく、250キロもの長い間、高回転で回しつづけて、広島まで、あと、50キロくらいの所でスロットルが、引っ掛かりはじめた、アホな私はこのまま走りつづけた。
広島ICで、ロードスターの堪忍袋は切れ、エンジン吹けきるまでまわりつづけ、どうにもこうにもゆうことを聞かなくなってしまったのである。
そんな、わけでそのままアンフィニ広島ゆき・・・
T氏、M氏、そして茨城のクラブの方、御迷惑をかけました。
何とか直り、やっとの事で三次入りに成功した。
しかし、これは悪魔の序曲にしか過ぎなかった事は、この時の私には、知る由も無かった。
そしてミ−ティング当日、朝早くに試験場に入場した。
時間の過ぎるのは、早いもので、いよいよパレードと言う事で、車に戻りエンジンを掛けギヤを1速にいれるため、クラッチを切るとあれ、クラッチが切れないなんで?、なんで?
しょうがない、だましだまし乗ってまた、デーラ−ゆきかと考えながらパレード走行し、パレードも流れ解散になると、私は、車を止め、近くにいた係りの方に、一番近いデーラーを訪ねると、すぐに無線で動力伝達系の専門の方、エンジンのスペシャリスト、終いには、試験場長まできて頂き「2時間ほど、時間を下さい私たちが、必ず直します」
なんと、メーカーの方に修理までして頂きました。この時、マツダの社員の心の温かさが、とても伝わって、まいりました。
本当にその節は、お世話になりました。
よし、これで東京に帰れるゾ、私は東京めざしひたすら、東へ、東へ、と車を走らせました。
しかし、神はまたも私とロードスターに試練を与えたのです。
足柄SAを出るといきなりの渋滞非常にやな予感がしなっ、なんとエンジンがすとっんと、止まり二度と掛からなくなってしまったのです。
車を、なんとか中井PAまで持っていき私は、電車で帰る事となりました。
この、激動のミ−ティングで、私はだれに一番迷惑をかけたでしょう。
それは、他でもない一緒に行った妻でした。
いろんな方に迷惑を掛け、また助けて頂いた激動のミ−ティングでしたが、すごく印象に残るミ−ティングになりました。