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小林俊彦

須永勝之

<始めに>

会長日記の始まり始まりです
このページは、私の私的な手記を公開しているようなものです。
したがって、書かれている内容には、私見、偏見が多く含まれています。
また、不正確な情報が含まれている場合もあります。
以上の点を、よくご理解のうえ、本ページを楽しんでください。

<第1話 ロードスターとの出会い>

初めての出会いはかれこれ9年前のモーターショー(アメリカか?)ミヤータでした。
当然アメリカへ行けるわけなくカー雑誌で見ましたがこんな車が今ごろ出ていいの、エランに似ているな....
確かNSX.GT−Rと同時に発表されたと思うけど、すごい車が出たなとと思いつつ非常に気になる存在でした。

ただ当時の私は日産テラノを新車で買ったばかりで、スキー.サーフィンに遊びに夢中で2シーターのロードスターなんか買える訳ないと考えておりました。
その後、89年に日本発売になり大人気になったのは皆さんご存知でしょう。

90年のある時何気なくユーノスデーラーの前の通り掛かり、冷やかしで試乗した記憶が有ります。
確か板橋区のデーラーだったと思うが、営業マンと2人で10分程度乗りました。
町中を軽く流しただけなので、こんなもんかの印象でしたがただ、シフトフィーリング、屋根の無い開放感はとてもGOODでコーヒーを飲みながら営業マンとカタログ見て、見積もりをもらいボデーカラーが赤.ブルー.白.シルバーしか無い事を発見。
「この車はぜったいグリーンか紺色だと」思った記憶が有ります。
見積もりをもらいデーラーを後に、「でもテラノのローンが....」「スキーがサーフィンが」と思う日々でした。

<第2話 ロードスターと竹藤氏との出会い>

日に日に町で見掛けるロードスターが多くなりうらやましく思う日々のある日、いつものように会社へ行くと、玄関脇にブルーのロードスターがオープンで止まってました。
いいなと思い車内を見るとステアリング.シフトノブ等が交換されており、マジマジと観察し遅刻しそうになった。

その日の会議で協力会社竹藤氏を紹介され会議後に外のロードスターオーナーと判明、休憩時間に試乗させていただく事に・・・・これが衝撃的な出会いとなる。

ロードスターに向かう途中に、この辺は交通量の少ない道路が多くあり「飛ばすにはいいと」竹藤氏。
最初に竹藤氏の助手席に座り、「飛ばしていいですかと」
私はOKと言った。同時にフル加速を始め交差点でドリフトを披露!!!! これがすごいのなんの思わず目が点に。

一回走り途中で交代、試乗は2度目だが前回と違い自由に振り回していいとの事。
屋根の無い事に感動を覚えフル加速、ふだん重いテラノに乗っているせいか車が軽いのを実感し、私も交差点でドリフトを少々、、、、
たかが1600ccのNAと馬鹿にしていたが早いのなんのシフト感覚.ステアリングレスポンス.エンジン音.

感動の一日で、昔乗っていた車を思い出しロードスターを思う日々でした。

<第3話 車歴 バイク編>

ホンダ タクト 単なる原付。母親と共同で購入。
スズキGSX250 ノーマルで乗っていた。遅かった覚えあり。友達は400でいつも追いつかず売る事に。
ヤマハXJ400 多摩湖周辺でよく走る。友人から中古の集合マフラー(確かRPMだった)取り付け。音だけは暴走賊仕様になる。ハンドルは当時流行ったセパレートハンドルに交換。実際は賊ではなく走り屋だった。よく峠にいった。家の前に停めて集合マフラーを盗まれた時は驚いた。サイドカバーも盗まれた。
ヤマハRZ350 XJ乗っていてRZ350に高速で負け買い替え決定。とんでもジャジャ馬、とにかく速い(当時)。フル加速ですぐウイリーする。サイドスタンドで停めるとガソリンが方漏れしエンジンかからず。ハンドルはセパレートハンドルに交換し前傾ポジションに。峠でよくコケた。最後まで乗りこなせない気がした。
カワサキZ400GP このバイクは友達aが私の’ランサーターボ’を廃車にしたお礼にもらう。雰囲気はいいが特別な印象無し。今も持ってたら高値で売れた。

<第4話 車歴 四輪編>

カリーナセダン 1600cc年式不明。15年前の事でよく覚えていないが知り合いから5a万ぐらいでもらった気がする。ラジオも無く後ろのシートにラジカセを積んで走る。バッテリがだめで、よく押し掛けした覚えあり。半年ぐらいで友人にあげた。
セリカ(ダルマ) 1800cc年式不明。当時10年車だから排ガス規制前かな。あっちこっち錆だらけでボロボロだがよく走った。ボンネットや屋根に平気で乗っていた遊ぶ(今はそんなやついない?)。田舎が埼玉で畑道ばかりなのであぜ道(砂利道)でラリーの真似事をよくやった。4~5人でタイム計り競いあった。このころからドリフトやるようになった。
ランサーターボ 1800cc83年式ぐらい。金貯めて中古だが初めてまともな車を買う。70万ぐらいだった。初めてカーステレオ付きに感激・・・。しかし納車2週目に事故る。それも大晦日の晩、初日の出を見に行く途中で京葉道路でカマを掘る。自走できず元旦の朝、彼女と電車で埼玉まで帰る。その後彼女に振られた...。2ヶ月後40万かけ復活・・。しかし10ヶ月後友人が事故りあえなく廃車。国道から横転、人の家の玄関に無断でに突入!!しかし友人は無傷あー良かった。それで廃車です。お詫びにカワサキZ400もらう。元気なころは首都高と箱根へよく行った。河川敷でドリフト練習するが全てノーマルの為、(LSDすらなし)うまく出来ず。車内エッチも初めてやった(狭くて苦痛)。
RX7 形式わからず、一番初期のRX7です。友人から1年ぐらい借りて乗った。オイルがやたらと無くなる。ガソリン入れる度にオイル追加していた。運転席がタイト。全体のサイズが今のロードスターぐらいで気にっていた。ただしロータリーはいまいちかな、回せばモーターのようで良いが低回転でギクシャクするのはダメ。当時の駐車場が林の中で車内にアリンコが出て困った。どこから入るか不明。
ファレディーZ 形式S130かな?L型エンジンの2800cc。これも友人から借りて半年ぐらい乗った。とにかく燃費が悪くリッター3kから4kでガソリンメーターの動きが見えた。でかくてフロントノーズが長くて運転しにくい車でした。あまりいい印象なし。
シティーターボ 初のFF。87年ぐらいか中古で購入。当時は速かった。でも曲がらない車です。ドライビングポジションが独特で、ペダルを上から踏み下ろす感覚でした。俗に言うドッカンターボで速いが疲れた。タイヤをアドバンタイプDに交換したらハンドル重くてパーキングは大変。当時のFFはトラクションが悪くコーナーでアンダーとの戦いです。車内にポケットがたくさんあり便利、中でもクーラーBOXはよかった。面白い車でしたが無くなって残念。
プレリュードSi 親父に借金し初の新車購入。88年ぐらいかな?最初はイタリア(アバルトA112)の外車を新車で買おうと思い、おやじに相談するが全く相手にされず。軽自動車の様だから駄目だと門前払い。仕方なくホンダ車を選ぶ。当時ホンダ技研の期間従業員で毎日車通勤してた。当時一番カッコ良く女性に人気がモテタ?(効果無し)。車はFFを感じさせない足周りで、この年代のFFでは一番の出来では?しかしガンガン飛ばす車ではなく、おとなしく走っていた。この頃は毎週サーフィンとスキーに行っていた時期で3年間で8万k走った。改造など全くしないで3年間ノーマルで走る。しかし、たまに箱根へ行く。人気車で3年後150万で下取りした。
テラノ 初の4輪駆動を新車で購入。毎週サーフィンとスキーに行っていたので?俺も若く無いし、走りはもやーめたと、一代決心してディーゼル車買った。1年は良かった。人はたくさん乗れる.軽油は安い.海山どこでも行けると。しかし、2年目は でかい.重い.遅い.トロイ.音はうるさい.....だんだんとストレスになってきた、がしかし4年間はローンが終わるまではガマン、ガマンの日々、ロードスター出会うまでは!以上が私の者歴です。あー疲れた。

<第5話 納車編>

前回竹藤氏の車に試乗しロードスターが頭から離れなくなり、雑誌のインプレッションを読みあさっていると、どっかのモーターショウで 「Vスペシャル」が発表されたブリテッシュグリーンの外装、タン色の内装、ナルディーのハンドル 思わず欲しい。
私の求めていたロードスターはこれだと思い、発売とともにユーノスディーラーを探すが、近くに無かった。

ある夏の日江戸川区西葛西を走っていると、あのユーノスディーラー発見!!!
中へ入ると「Vスペシャル」が展示してあった。
営業の茂呂さん登場し「いかがですか」・・・思わず「これ買います」と言った覚えがあります。
ここのディーラーは営業の女性が3人いて、皆きれいな人で特に茂呂さんサバサバして気が合い話が弾む・・・
このディーラは顔で採用していると思いつつめでたく契約。

確かテラノの下取りが150万で、納車は9月で3ヶ月待、オプションは白のハードトップ、エアロカバー、ボデーカバー、ハードトップスタンド、DCデッキグリーンのボデーに白ハードトップは、なぜわざわざ別々の色にするのと、茂呂さんにブツブツ言れたが、懲りずに買う。

納車まで長かったなー。
実はもう時効だと思うが、契約して納車待ちの間にテラノを壁にぶつけ側面とバンパーに大きなキズを作る。
日産ディーラの修理見積もりは20万なり・・・・
直すか直さないか悩みに悩み、結局直さず 納車当日ディーラーへ テラノは少し遠くへ置いて・・
納車説明も聞かず、逃げる様にさっさと帰宅。
その後キズの件では連絡無し。
めでたしめでたし。

新車に感動し1000キロぐらいナラすが車が真っ直ぐ走らない。
即クレームでアライメントを見てもらう。
フロントのトーインが狂い落ち着きがなかった。
調整後180キロでも問題なし。
新車は良いなと感動の日々。

<第6話 改造地獄へ編>

慣らしも終わって全開で走り、ライトウエイトスポーツをは楽しいなと峠へ行く回数も増えた。
月に1.2回は箱根、赤城、筑波、奥多摩、榛名を走る。
このころからジムカーナを始めた。
たまたま会社に自動車部があり入部。
クラブ員に元全日本の方がいて教えてもらうが、彼の車はMR2!
頼んで同乗させてもらうが参りましたです。
ジムカーナてこうやって曲がるんだ!!!
ハンドルは曲がるきっかけを掴むだけ、後はサイドでリアを流して鋭角的に曲がる。
よくこんなに曲がるなーと関心関心。
それから月一の走行会で茨城中央サーキットと浅間台で練習に励む。
夜中は川崎埠頭木場方面、浦安鉄鋼団地と走り回る。
半年ぐらいでサイドターンが自由にできるよになり、タイムは飛躍的に上がるようになった。
当時はまだフルノーマルでまったく改造なし、徐々に不満が・・・でも練習に練習。
当時創刊されたレヴスピードにロードスターの長期テストが連載され、よきバイブルとして活用しました。
T−HOUSEの存在を知ったのもレブでした。
最初この店に行った印象は変な店で売物はないし、商売ケ無いし、常連客の溜まり場化していた。
当時まだロードスターのパーツはまだ少なく、改造車は少なかったが、この店の常連の車はオリジナル改造が多かった。
私も影響で改造が始まった。
とは言っても貧乏人の私は大金掛けて改造なんてできるわけなく、細細と自分で行う。
まずは、あまりに高い車高を落とすべく、スプリング交換した。
物は当時定番のレーシングビートこれで車高3センチダウン、ダンパーはノーマルで・・・
最初乗った感じは、こんな感じかなー・・・取り合図カッコだけでもいいと自己満足。
この足最初は乗り心地も良く(フラットな所)振り回してのコントロールはよかった。
それと4点式シートベルト、エアークリーナー(ノーマルタイプ)を付けた。
ベルトはノーマルシートにがんばって付けた、エアークリーナーはほとんど変化無し。
ただこの頃は他の足との比較ができず自分のが一番と思っていた!!(大きな間違)
だんだんと 改造地獄へハマリだしたころです。